原爆爆心地から1.8キロの広島市・碇(いかり)神社で被爆したソメイヨシノの苗木が19日、横浜市戸塚区の市立下郷小学校の庭に植えられた。児童が折った千羽鶴を広島、長崎に届けるとともに「被爆桜」の移植を求めた旅の帰途だった07年に事故死した男性の遺志を、バイク仲間の自営業、原達也さん(54)=神奈川県秦野市下大槻=が継ぎ、実らせた。開花するのはまだ何年か先。原さんは平和への思いが語り継がれ、桜の成長とともに広がれば、と願う。【山田麻未】
原さんが、横浜市の戸田博平さん(当時74歳)に出会ったのは07年夏だった。戸田さんは04年から、孫が通う同小児童が折った千羽鶴を、愛車の大型バイク・ハーレーダビッドソンで広島と長崎の平和公園に届けていた。その活動を新聞で読んだ、ハーレー愛好家の原さんはさっそく連絡。その秋には連れだって広島へ。市の担当者に「被爆桜がほしい」と依頼した。戸田さんは06年、死の灰の中を生き残った、広島のアオギリと長崎のカキの木を譲り受け、同校に植えていた。 戸田さんは原さんと別れ、1人長崎へ向かい、帰路、山梨県内の中央自動車道で事故死する。別れ際の握手が、最後の思い出に。「詳しいことはこれから聞けばいい」と思っていたので、戸田さんの思いは聞けずじまいになってしまった。 それでも、遺志を継ごう。原さんは秋葉忠利広島市長に手紙を書いた。秦野市や広島県人会、園芸業者などにも協力を求めた。約1年後の08年9月、広島県樹木医会が「責任を持ってやります」と応え、09年2月、50本を接ぎ木し、うち10本が育った。 19日に植えられたのは、そのうちの苗木1本。代表の児童16人と原さんらが、スコップで少しずつ土をかぶせた。小川勇平君(3年)は「戦争が二度と起きないでほしい。植えた木が大きく元気になってほしい」と話した。残る苗木は、横浜市内の別の小学校や韓国・坡州(パジュ)市での植樹が計画されている。 原さんは今秋は初めて長崎にも行くつもりだ。「千羽鶴のリレーができれば」と考えている。 【関連ニュース】 平和大使:ヒロシマ、ナガサキを米で伝える 運動25周年 マータイさん:原爆慰霊碑に献花、高校生らと植樹も 高野連:奥島会長、被爆桜を植樹…広島市の平和記念公園 マータイさん:来日 広島で記念植樹、京都などで講演予定 広島原爆慰霊碑:パレスチナ議長が献花 世界の平和を訴え ・ 商品券1千万円超使えず 堺のスーパーが無届け販売、倒産(産経新聞) ・ 再会断られ少女の自宅放火、龍谷大生を再逮捕(読売新聞) ・ 自動車用電線でカルテルか=矢崎総業などに立ち入り−公取委(時事通信) ・ 2歳児監禁死、父親に懲役11年=裁判員「つらかった」−東京地裁(時事通信) ・ わずか1分で電車進入…高円寺駅の女性救助劇(読売新聞)
by g1lxbgmoyl
| 2010-02-25 14:23
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